作曲の正門研一です。
●「スコアの活用と向き合い方」というテーマでこのコラムを進めていますが、スコアのしくみをつかむ上で、私は「音楽を形づくる要素」を3つに分類し、第3回、第4回では「変えることができないもの」を中心にお話ししてきました。今回からは、「変化する(させる)余地のあるもの」、「変化が期待されるもの」に目を向けていきます。その導入として、今回は、「音は、音楽はどのように聴取され得るか」ということを中心にお話ししたいと思います。
●今回のお話は主に、演奏(の準備)のためにスコアに向き合っていらっしゃる方に向けたものとなります。このコラムをお読みいただいている方は必ずしもそうした方ばかりではないと思いますが、これからお話しすることは、スコアを手に演奏を楽しまれる際、演奏側がどのようなことを考えながら、何に気をつけて取り組んでいるか(あるいは何が疎かになっているか、ということもあるかもしれません)をご自分なりに感じ取る手助けになるのではないか、と思っています。
音楽理論だけではない
●「音楽は聴取されて初めて完成する」ものだと私は考えます。
作品(作曲者/編曲者)→解釈~演奏(演奏者)→聴取(聴衆)という三者があってこそ「音楽」が成り立つのです(このコラムの第2回でこの関係性を考察しています)。
私自身も音符を綴りますが、楽譜として作品が一応仕上がったとしても、実際の音になり、聴いていただかない限り、本当の意味で音楽が、作品が完成したとは思えないのです。
●私は、二つの公的音楽隊で演奏に携わってきました。
演奏に際して常に考えてきたこと、心がけてきたことは、聴いていただく方ひとりひとりがそれぞれに(心の中で)音楽を完成させられるように、ということ。換言すれば、演奏者でありながら、いかに聴衆の心理に立つことができるか、ということです。
皆さんも経験があるかと思いますが、「今日はうまくいったなぁ」と思っていても、聴衆に何も伝わらなかったということはありますし、逆に、「ちょっとマズかったなぁ・・・」と思っていても、心から喜んでいただいたということもありました。
実践していく中で、演奏技術(私の場合は指揮ですが)の向上と同時にもっと身につけておく、あるいは知っておいた方がいいことある、と感じることが多くなっていった音楽隊勤務時代・・・。
私は、音楽大学で「音楽学」を専攻していました。「演奏」については、実践する方ではなく、どちらかといえば聴取する側。むしろ演奏している音楽隊員から学ぶことも実際多かったのです。
音楽隊勤務の時代、演奏を聴いていただく方の多くはごくごく一般の県民・市民の皆さん。音楽に深く関わっていらっしゃる方はほんの一握りといってもいいでしょう。
しかし、そうした皆さんからの「評価」が、ときには専門家や師匠らが下す評価よりも大きな意味を持つことも実感しました。「良かった」や「良くなかった」、「好き」や「嫌い」などがストレートに伝わってくるのです(特に、対象がこどもさんの場合ははっきりと表れます)。
また、音楽隊を管理する者も決して音楽の専門家ではありません。彼らの私たちに対する評価は、どこかで聴いたいただいた皆さんの「評価」が基準ともなりうるのです。
だからといって、迎合するわけにはいきません。音楽に携わる者としてのプライドはありますし、「変な演奏しよう」なんて思う奏者は誰一人いないはずですから。
しかし、「演奏する側の理屈、思いだけでは一方通行の音楽になるだけなのだ」と感じることが多くなったのも確かなのです。そして、私たちの思ったままが聴いていただく方に伝わるとは限らないのだ、ということも実践を通して感じるようになったのです。
これは、楽器の技術習得を主眼にした教則本等だけでは学ぶことのできない、しかし演奏する上で知っておくべきことがある、ということ示唆しているのではないかと私は思います。
●皆さんにもこんな経験はないでしょうか?
「テンポやリズムが安定していない」と言われる。
「メトロノームでしっかり練習したのに合奏になると合わない」
「録音を聴いてみると、実際に演奏して感じていたテンポと違う」
などなど・・・。
●巷にあふれている教則本などは、演奏技術の習得に主眼が置かれています(当然のことです)。合奏用のメソッドなどでは、サウンドづくり(ハーモニー、音程などを含む)に主眼が置かれています。演奏をする上で当然大切なことですが、楽譜を読んでどう演奏に活かすかという観点が欠けている場合が多いです。理論書などもそうですよね。
いわゆる「表現」ということについては、楽器の技術以上に様々な考え方があり、また、「経験」や「学習」の違い(量ということではありません)が表れるものです。楽器の技術ほど「これが正しい」といえるものはないかもしれませんし、そうしたものを教則本に盛り込もうものなら、本は分厚いものになり、かえって学習する意欲も失せてしまうでしょう。
●私たちが学んできた音楽の理論(あるいは「楽典」)は、今から200年から400年ほど前(ルネサンスからバロックを経て古典派)時代を中心に確立していったものがベースになっているといっていいでしょう。それが時代の流れとともにいくらか変容しつつ今日に至るまで受け継がれています。つまり、ある一定の時代や様式の音楽を語る(あるいは演奏する)上では極めて有効といえます(ただし、このベースとなった「理論」でさえ、地域や言語を由来とすると思われる様々な違いを、半ば無理矢理ひとつにまとめて「標準化」したと思われる節があります)。
音はどのように聴取され得るか・・・聴覚の不思議
●では、人間の「聴取」という感覚はどうでしょうか?
もちろん、社会の変化とともに様々な「音」があふれてくるようになりました。バッハやバートーヴェンの時代には想像もできなかった「音」がたくさん・・・。
しかし、人体や体の機能の根本が大きく(「音楽理論」の変容のように)変わったというわけではありませんよね。たとえ、「音」に対する感覚に変化があろうとも、音を聴く「しくみ」は基本的に400年前も今も変わらないのではないでしょうか。
であるならば、自らの「音」がどのように聴取され得るのか・・・、これこそ私たちが演奏するにあたって技術や理論と同時に知っておくことであると思いませんか?
●あまり専門的なところにまで踏み込むことはいたしませんが(私自身も決して専門的に学んだというわけではありませんので)、人間の「聴取」という感覚について、こういうことを知っておくといいのではないかと私が思うことを挙げてみましょう。
[1] 耳から入った音は脳に伝えられる、つまり、耳だけではなく脳でも聞いている。脳に形成されているネットワークは人それぞれ(個人の経験・学習が大きく影響)。
[2] 脳は関心のあるものをしっかり選別し、興味のないものは素通りさせる。
[3] 視覚の影響も受ける。
[4] 複数の音(例えばたくさんの楽器の音)から特定の音だけを集中して聴くことができる。
[5] 「こうなるはずだ」と決めつけて聴く(必ずしも正確に聴き取るわけではない)。
[6] 他人は自分の声(あるいは音)と同じものを聴いていない。
皆さんにも思い当たることがないでしょうか?
●例えば、[3]
近年は動画の配信も盛んになり、吹奏楽を「映像と音」で楽しむ機会が増えていますよね。
同じ音源を映像なしで聴いてみたとき、違った印象を持つことはありませんか? 繰り返し映像を見ることでそれが脳に焼き付けられ、映像なしで聴いても画像が浮かび上がってしまうことはあるでしょうが、違った印象を持つことは大いにあるはずです。
[4]の場合はどうでしょう?
楽器経験のある方であれば、今聴いている作品の中で自分の楽器がどのように演奏されているかは当然関心事でしょうし、そのような聴き方になるのはよくあることです(これを特に、「カクテルパーティー現象(効果)」というそうです)。私の場合、特定の楽器の音というより、例えば和声のベースラインを集中して聴こうとすることがあります。
[5]について言えば、「この音がないと“つじつま”が合わない」場合には脳が音を作り出して補完するのだそうです。
[6]、ご自分の声を録音したときに違った声に聞こえるのと同じですね(いわゆる「気導音」と「骨導音」の違い)。さらに言うなら、録音された声(音)は、自分が思っているよりも速いものに感じることが多い・・・。
「さらに幅広く学んでみよう」と思われる方は、「音響」や「音響心理学」などの専門書を手にされてはいかがでしょうか。
●何かご自分の演奏のヒントになりそうなものがありませんか?
自らの「音」がどのように聴取され得るのかを知ることは、「表現」ということにも大きく関わってくるのではないか、と私は思います。
上述のような「聴覚の不思議」、もちろん科学的な検証がなされたものです。「科学の目」が音楽に入ることを良しとしない方がいるのも承知しています。ですが、例えば「音律」、「純正律」や「平均律」という言葉を聞くことはありますよね。何百年も前の、それこそ当時の「科学の目」が入っているのですから(もちろん「人間の感覚」も反映されていると思います)。「人間の感覚」に対し「科学の目」を時代の流れに応じて上手に向けていくと良いのではないか、と私は思っています。
「演奏の原理」という本に出会って
●音が、あるいは音楽がどのように聴取され得るかを探っていく中で、私は一冊の本に出会います。ハンス・ペーター・シュミッツ(1916~1995)著『演奏の原理』(シンフォニア刊)。
シュミッツは、第二次大戦後、1950年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で活躍したフルート奏者で、退団後は教育者として、音楽学者としても活躍しました。特に感銘を受けたというドイツの心理学者ルートヴィヒ・クラーゲス(1872~1956)の理論(クラーゲスには、『リズムの本質』という著書があります。)を基礎に、演奏の実証的研究ともいうべき論文をいくつも書いています。1958年に書かれた『演奏の原理』もそのひとつ。それまではバロック音楽の研究が中心になっていたシュミッツにとって、時代を限定せずに一般論の形で書かれた集大成的論文です。じっくり時間をかけて読みたい本です。
●ここには、現代的なテクノロジーによる科学的な検証は存在しませんが、「人間科学」の目で書かれているのは明らかです。今もってここに書かれていることの「本質」をどれほど理解できているかはわからないのですが、私が大きな影響を受けたことだけは確かです。
●「事物は全て相互作用の上に成り立つ」との考えを基本とし、音の本質的特性を5つ挙げ、それらがどのように作用し合うかを説いています。
[1]音の運動 = リズムとテンポ
[2]音の強弱 = ダイナミクス
[3]音の長短 = アーティキュレ―ション
[4]音の高低 = 音空間における音の位置と動き
[5]音色
そして、これらを「ある程度なら演奏者自身が変化させることもできる特性/運動・強弱・長短」と「一定の範囲で不変的な特性/高低・音色」とに分類しています。
(※ 私がこの連載で「音楽を形づくる要素」を分類していますが、それと混同されませんようお願いします。)
さらに、音の本質的特性対し、空間の広さや編成、声部数がどう影響するかにまで考察は及んでいます。
ここに書かれていることは、音が、音楽がどのように聴取され得るか、ということにもつながってくるのです。
●例えば、
テンポとダイナミクスの関係で言えば、「速いテンポの時には意図しないでも大きい音になりやすい」。
テンポとアーティキュレーションだと、「スタッカートが何度も繰り返されると性急になってしまう」。
リズムと音色の関係では、「美しい音を出そうとすればするほどリズムの方に緊迫感が失われてしまう」。
などなど、皆さんが普段から苦労されていることがそのまま書かれています。普段の練習でなかなか解決できないことは、さまざまな音の本質的特性がどのように作用し合うのかということを頭に入れておくことで、ある程度解消できることが多いのです。
もし、テンポとダイナミクスの関係(どう作用し合うか)を知っていれば、吹奏楽コンクールの講評で「テンポが不安定です」などと書かれることもなくなるかもしれませんね。
シュミッツはこうした「相互作用」は、「無意識に起こり得るもの」であるとし、演奏者の役割は、それをコントロールすることだ、と言います。
●私はこうした「相互作用」、つまり「起こり得るもの」を簡潔にまとめたものを作っており、時々見返し普段の練習に役立てています。
例えば、「今日はテンポを重点に練習をしよう」とした時、どのようなことが起こり得るかを想定できていれば、時間を有効に使えるのではないでしょうか。
この「一覧」をご希望の方がいらっしゃいましたら、提供したいと考えていますのでお問い合わせください。
(詳細はこのコラムの最後に記します。)
おわりに
●「音は、音楽はどのように聴取され得るか」ということを知ることは、直接、演奏や「表現」に関わってくるものです。いわゆる「音楽理論」を習得するだけでは演奏・表現が成り立たないということを少しは感じていただけたのではないかと思います。
実際に起こり得ることを想定しつつスコアに向き合う習慣がつけば、練習の際により深いところにまで踏み込んでいくことができるようになるでしょう。また、スコアを手に演奏を楽しむ際、思ってもみなかった発見があるかもしれません。
●ご紹介したシュミッツの著書は、深い考察に基づいたもので、決して簡潔にまとめられるようなものではありませんし、またこの一冊で全てが分かるというものでもありません。「歴史的名著」と言われるものも多数存在します。記述や表現に違いはあっても、いくつかの書物に目を通すことで、「何か」が繋がる瞬間というものがあります。この種の「演奏理論」とも言えるものに関する書籍には、一般的な音楽理論書や楽器の教則本からは得ることのできない情報がたくさんありますので、機会を見てそうした書籍等にも触れていただきたいと思います。
●次回からは、今回の内容を踏まえた考察になります。スコアに向き合う上でつかんでおきたい「音楽を形づくる要素」、まだまだ続きます。
今回もお付き合いいただきありがとうございました。
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